Tradition is the mortal enemy of progress.
「伝統は進歩の最大の敵である。」という格言がある。
タイマッサージをタイ伝統文化として位置づけるのか、古典医学としてさらに発展させていくのかは、マッサージに携わる人たちが判断してゆくべきことだ。タイマッサージをタイ伝統文化として位置づけるということは、宮廷料理のレシピを一切アレンジしないことや、伝統舞踊をそのままの形で後生に伝えていくことに等しい。伝統文化として位置づけるのならば、マッサージ自体の手順を決めて、タッチやフィーリングに至るすべてを統一して、固定化してしまわなければならない。クライアントの体調や症状に合わせて、セラピスト自身がアレンジして行うこと自体がタブーということになる。そこにはセラピストの感性は必要とされない。ただ、学ぶことがあるのみだ。「誰かの役に立つために何かを学ぶ」必要はなく、ただ、「伝統文化を継承するために学ぶ」ことになる。何故なら、そのマッサージは伝統文化であって、現代にも生き続ける古典医学ではないからだ。タイマッサージは、長い年月をかけて発展し、進化してきた古典医学は、伝統文化として位置づけることで、その進化を止めることになるのだ。
○歴史をさかのぼってみよう。
タイ古式マッサージの歴史をみると、タイ古式マッサージのルーツはおよそ2500年前のまでさかのぼる。ブッダの主治医として知られるインド人の医者シヴァカゴーマラバット師によって、仏教の伝来とともにタイに導入されたとされている。シヴァカゴーマラバット師は北インドのピンピサーラ王に仕えていて、ブッダが中心となって形成された仏教僧集団サンガの筆頭医師でもあった。サンガでは多種多様な手法で様々な治療を施した記録があって、これがタイ古式マッサージの始まりだとされている。ブッダ(釈迦)が生まれたのは紀元前463年で、日本でいえば、まだ弥生時代が始まったばかりの頃である。中国では、秦の始皇帝が現在の中国あたりを始めて統一したのが、紀元前200年頃だから、アジア全般はまだまだ群雄割拠の混沌とした時代であった。こうして、インドから広くアジアに伝わった仏教は、同時に古典医学の技術をも伝えたのだ。
その後、1200年ほど経過して、やっとタイ王国の建国に至る。タイ王国の建国は1238年。タイ国の歴史は、未だ700年~800年しかない。その頃、日本は鎌倉時代。まさに鎌倉の大仏の建立が始まった年である。古典医学は、ワットと呼ばれるタイ寺院の中で保護されながら発展を遂げることとなる。しかし、1767年のビルマ軍(現:ミャンマー)による侵攻で、医学書、宗教教養などの重要書類がすべて焼き払われてしまったために、タイ本国においても当時の古典医学が記された文献は何も残っていないのが実情である。
その後1837年に国王ラマ3世により、ポー寺(ワットポー)に多数の医師が集められ、わずかに復元された医学書をもとに石碑にその技術が刻まれ記録されることとなったのだが、現在でも古典医学についての記録は闇に葬られたままである。
もともと古典医学は、インドの医学であるアーユルヴェーダを基礎医学としていた。中国の指圧やチベットの伝承医学などの影響を受けながら独自の発展を遂げた古典医学である。しかし、時代の流れの中で、西洋医学が流入したことで、アーユルヴェーダの持っていたシャーマニズムやアミニズムも次第に淘汰されていった。除霊などの精霊的治療も、古典薬草学や古典栄養学もすっかり影をひそめてしまっただけでなく、古典医学自体が衰退していったのである。
1960年代に入ってから、ラマ9世(プミポン国王)の一言で、ワットポーでタイマッサージを広く一般の人々に教えるようになったが、これはアジアに伝わった古典医学とは程遠いもので、マッサージの手技だけが形骸化したものを教えているに過ぎない。『タイマッサージ』として世界中に知られるマッサージ法だが、これは誰もが簡単に覚えて実践できるようにシンプルにまとめあげられたものであって、その歴史はわずか50年あまりである。これが決して古典医学ではないことを私たちは理解しなければならない。
○背景
現在のタイ国においても、古典医学を実践できる人材はほぼゼロに近い。限りなく絶滅が危惧されているのだ。タイ語でも、古典医学実践者は『モーヌアッド』と呼ばれ、単なるマッサージセラピスト『コンヌアッド』と区別され表現されている。2000年代に入り、タイ政府がタイマッサージを、タイ国の伝統文化として位置づけるようになって、スクールを経由してディプロマも発行している。たった1週間~1ヶ月程度のレッスンで、政府認定の資格が取れるということ自体に、世界中が疑問をもっているのも事実である。これは、『文化』であって、『古典医学』ではないところがポイントだ。だから、事故を起こさないことが何よりも優先される。それを実践するセラピストは、決して治療家ではなく、文化の継承者なのだ。セラピストが勝手なアレンジを加えて事故を起こすことは文化を汚すことにつながるから、最もタブーな領域なのである。これはある意味で、古典医学としてのタイマッサージをタイ政府が手放したことを物語っている。
○思い
TTMAは、タイマッサージを単なる伝統文化としてではなく、古典医学として現在も捉え続けている。マッサージは、人を元気にしたり、体調を改善したり、ちょっとした体調不良なら改善されることを体験しているからである。マッサージで減量に成功したり、身体が柔らかくなったり、風邪の初期症状が緩和したり、悪寒が治まったり、国指定の難病患者の数値が改善したり、多くの素晴らしい実績を持っているからである。タイマッサージは、本当に素晴らしいものである。タイには心から尊敬の念を払いたい。しかし、生半可な知識や技術だけで実践したのでは、あまりにも危険な行為が多いし、余計にクライアントの身体を駄目にする危険性もはらんでいる。TTMAでは、セラピストとして困った人の役に立ってほしいから、そして、どんどんアレンジして結果を出してほしいから、有効なテクニックを指導している。それは時にアグレッシブで、アクロバティックで、ものすごく痛かったり、なでるように優しかったりする。だから、TTMA独自のセラピストの認定事業を通して、セラピストの事故補償や各種サポート事業を行っている。
TTMAのマッサージは、単なる伝統文化としてパッケージングされたマッサージをこなすものではない。TTMAでは、マッサージする間ずっと、クライアントの状態に集中して、瞬間ごとの判断を繰り返し、創意工夫しながら実践するから、型は決まっていない。・・・いや、決めない。決められない。セラピストひとりひとりの個性や感性を大事にするから、決して画一的なスタイルを求めないし、押し付けない。自分自身が一生懸命独りよがり的に頑張ることではなく、瞑想しながらクライアントとプラーナでつながるのだ。
マッサージの良し悪しを判断するのは、結果である。その結果が人を幸福にもするし、不幸にもする。TTMAのマッサージは、『Traditional Thai Massage』というよりも 『Progressive Thai Massage』と言ったほうがいいのかもしれない。ひょっとしたら『Ancient Thai Massage』なのかもしれないし、『TTMA's own massage style』なのかもしれない。呼び方は何でもいい。ただ、タイマッサージは、特定の誰かのものでもなく、どこかの団体のものでもなく、もちろんどこかの国のものでもない。それは人類の叡智であり、先人たちが残してくれた智慧の結晶なのだ。私たちはこのマッサージを単なる遺産としてではなく、もっともっと発展させて、たくさんの人を笑顔にするために使いたい。この現代に、この瞬間にもさらに発展させて、有益な結果を導き出す役割が私たちにあるはずだ。そして、それをまた後世に伝えていくこと。それがTTMAの役割だと思っている。 |